Lisboa,Baixa地区

リスボンは大西洋に注ぐテージョ側の河口から少し入った右岸に位置する街。
バイシャ地区は1755年の大震災で壊滅し震災後に現在の長細い碁盤目状街区に整備された街。なんとなく街全体がテーマパークのような感じがするのは、同時期に一斉に建物が建ったせいか。それでも250年の時間は街に着実に歴史を刻んでいる。直前までいたバルセロナから一転、街の雰囲気は非常にユルイです。いい感じです。

バイシャ・シアード駅の地上出入口。
単純な構成ですが、非常にきれい。エスカレータにそって地下まで白のタイルで統一されたアーチの空間が続きます。日常の空間がしっかりデザインされているというのはとてもよいことだと実感。と思ったらアルヴァロ・シザの設計と日本に戻ってから知る。

Elevador de Santa Justa

サンタ・ジェスタのエレベータ。バイシャ地区の一画にそびえる高さ30mの塔。1901年作で設計はパリのエッフェル塔を設計したエッフェル氏。
道の真ん中にすくっと立ち上がっているこのタワー。単に展望のためのものではなく上部には橋がかけられていて、丘の上の地区へと繋がっている。言ってみれば坂の多いリスボンのインフラの役目を果たしている。 景色は良いし、丘の上にショートカットできるし、階段を上ると屋上はカフェでなんだかみんな笑顔だし、こんな楽しいインフラ空間。そうはない。

Bairro Alto

サンタ・ジェスタのエレベータから連絡橋を渡ると丘の上のバイロ・アルト地区に入る。
バイロ・アルト地区はどちらかというと夜の街。最近はどちらかというと観光地的なバイシャ地区よりも若者に人気のスポットになっているそう。 周りにはファドのお店がいくつも。夜に開くはずだが、この日は1月2日。オープンするかはわからず。リスボンを離れる直前にあらためて・・・と思っていたがその後のスケジュールのすったもんだした挙句、結局来る機会を逸してしました。かなりくやしい。ただ、またこの地に訪れる口実ができたと無理矢理前向きに考えることにしている。


サンタ・ジェスタのエレベータの連絡橋脇にはカルモ教会。1755年の震災で倒壊してしまって廃墟のまま残されている。一部分は考古学博物館にもなっている。

Bica

ビッカのケーブルカー。
いかにもリスボンらしい風景。建物にはさまれた急な坂を小ぶりのケーブルカーが上り下り。いまでも人々の生活と密着しています。坂の先には海。
乗っていて気づいたのは、坂の勾配は一定ではなくいろいろと変化して行く点。そのため、水平になるように設計されているように思っていた車内の床は、勾配が急なところや緩やかなところでは、床が前のめり後ろのめりに傾く。
坂下の終点でおりましたが、何の用もないのでまた上がることに。 妙に調子のいいおじさんが乗客の乗車を仕切っていたり、終点駅付近をうろちょろするスリらしき怪しい若者を追っ払ったりしていたので車掌かなと思いきや、坂上の終点につくとさっきのおじさんはそのまま街へと消えていきました。ん?単に近所のおじさんか?

非常に小ぶりです。キュートです。乗らないわけにはいきません。

Mosteiro dos Jeronimos

閉館間近になんとか間に合い見学。白亜の外壁が夕日に染まっています。
1500年代に完成した建物で、その完成度でマニエル様式の最高傑作といわれている。ちなみに日本でよくつかわれる「マンネリ」はこのマニエリズムから。 マニエル様式の建物はボールト(アーチ天井)部の表現が構造を担わず、「装飾」的な存在となっているのが特徴の一つだが、回廊部ではそれをしっかりと空間化にしているように思えた。「空間」と「装飾」が剥離していない。柱の装飾もよくみると1本1本デザインが違っているが、デザインコードをある程度コントロールしているせいか、全体性が崩れていない。
聖堂は回廊部から遅れて1551年に完成。回廊と同じく白い石材のみで作られている。 真っ先に目がいく天井のリブ。ゴシックのような垂直性をもちつつ、独特の装飾美を表現。ただそのせいで空間の強さが失われているようにも思えた。回廊に比べスケールが大きいせいか構造計画が純粋に空間化されていないことがどこか致命的な破綻を生んでいるようにも見えた。 でもところどころではっとする光景には出会える。迫力はある。

移動途中の風景。テージョ側を横断する「4月25日橋」という不思議な名前の橋。トラス状の量感をもった鉄骨の橋桁が大河を横断する様は圧巻。

ベレンの塔。牢獄にも用いられていた。

初めてみる大西洋の夕日。

左)『Pasteis de Belem』
ジェロニモス修道院付近のお菓子屋。ここのPastel de Nata(パステル・デ・ナタ/エッグタルトです)がポルトガルでは超有名。1837創業のナタの老舗。いつも買い物客であふれかえっている。ほんと美味しかった。

右)「Cervekarie」というレストランでのディナー。正月で閉まっている店が多かったせいかにぎわっていた。1階は地元の人たち、2階は観光客に分けて席を案内しているおり、価格も1階と2階で異なる匂いが。でも味はそこそこおいしい。
手前は「Febra」(豚のステーキ)。ポルトガルは牛肉よりも豚肉のメニューの方が多かった気がする。味付けはバルサミコ酢を使っているのだと思うがなぜか醤油味に近い。わりとあっさり。 奥はたしか、「Bacalhau com Natas」(バカリャウのグラタン)。「Bacalhau」は干し鱈(塩漬け)。ポルトガルでは非常にポピュラーな食材。365通り以上の調理法があるといわれ、毎日別のメニューを食べられるそうな。でも魚にうるさい日本人的には、さすがに飽きてきそう。 それと忘れてならないのが少し右側に映ってますが、「sangria」(サングリア)は結構はまって、日本に帰ってからも自宅で何度か飲んでます。特に夏に好し。

左)『Bifana』
ホテル近くの「Bar or Cafe」という店で、Bifana(ビファーナ)という豚肉バーガーと焼リンゴを注文。Bifanaはパンズの間に大きな豚肉とレタスが挟んでおり結構なボリューム。お肉もそこそこ柔らかくて素直においしい。焼リンゴは日本とほぼ同じ味。枝に見せかけて棒状のシナモンが刺さっていた。

右)『Conserverira de Lisboa』 老舗の缶詰屋さん。店の棚には色とりどりのパッケージの缶詰が整然と詰まれている。(写真がないのが残念。)缶詰はどれもかわいらしいパッケージ。バカリャウの缶詰を5個ほど購入。心にくい包装。飲んだくれた日本のお父さんが罪滅ぼしに持って帰るアレと似ている。ロゴデザインもレベルが高い。

写真なし)『A Ginjinha』(ア・ジンジーニャ) ロシオ広場脇のカウンターのみの立ち飲み屋。サクランボのお酒、ジンジーニャが飲める。地元労働者の溜まり場。学生もちらほら。

↑ pagetop